抽象絵画なんて全部ゴミだよ@美術鑑賞

あと三日くらい集計中です。
今回のスレは「ピカソと落書きの何が違うの?」と一度でも思った人にオススメです。
4 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 11:37
具象であろうが抽象であろうが、
絵に興味のない奴にとっては全部粗大ゴミ(藁
7 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/12 20:32
デッサンの基本も出来ていない自称若手画家が抽象にはしる傾向があるのではないか。
それも大作を描きたがる。どうだ俺の作品がわかるか、と突きつけるが、実は自分も
よくわからない。それでも何かを表現しているふりをする。
10 :3:04/07/14 15:45
僕は7さんの意見に同意する所、大だな。
結局 抽象も具象も絵画なのですよ。
なにか顔料を使って平面という支持体に向かう行為にスタイルは関係ないと思う。
造形的な訓練がされてない作家の作品は、抽象具象問わず弱い傾向がある。
11 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/14 21:45
「造形的な訓練がなされた画家」ほどリアリズムを貫徹するんじゃないの?
できるだけ写真に近く描こうって。
その意味ではもの凄く精密な絵を描く最近のアニメーターたちこそ、本物の「画家」だと思う。
14 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/15 01:03
>>11 うむ、違う。
写真機ができるまでは、写真機の代わりにリアリズムを追求し
そっくりに描くことがクリエイティブとされていたところもあった。
が、映像機器が充実している今、そっくりに描く意味は稀薄。
今、その意味性が問われてる中、何故サブカルであるアニメの、
しかも職人達が「本物の画家」と呼ばれなければならんのだ???
リアリズムを究極まで突き詰めたらいづれは抽象化
していくと思う。自分の「うまさ」に酔っぱらわなければ。
結局、「リアル画」に固執してる人って自分の絵の「うまさ」に
酔ってるか、自分の殻から出たくない人のように思うな。
17 :おーま(略):04/07/15 03:12
抽象が偉いとか具象が偉いとかそういう話じゃない。
問題はどれだけの市場価値を持つかということ。(ここで誤解するな)
具象から抽象に価値がシフトしたのは写真技術の発達と無関係ではない。
だいたい”芸術”なんて民衆を巻き込んだセンセーションなのであって
別に君らの感覚で”巧い”とか”すごい”とか判断するのなんて
全然全く完全に関係ないから。
本当の意味での芸術は自称芸術家のオナニーであってはいけないわけ。
だからきょうび”芸術”なんてありえないわけ。(行間を埋める努力を)
メディアの発達で面白いことが無限に増えたからね。
ちなみに”ゲルニカ”は素晴らしいなんて解説するやつは信用するな。
あの絵が”芸術”たりえたのは発表当時の時代背景を考えなければ
成立しないからさ。
良いんだよ。コムロテツヤはアーティストなわけさ。わかる?
19 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/15 04:21
>17
ゲルニカ見て怖いと思う。それでいいと思う。
いかなる風景画も実際の風景も等価値だと思う。
画家の人間味が加味されてるから風景画の方が寧ろ上かも知れない。
要するに画家の人間味が好きか嫌いかになります。
絵を見るとき、自分が絵の前にいるのではなく、絵の中にいる感覚で見ます。
それはタイムスリップした感覚でもあります。
そこで好きな画家が絵を描いてる風景にも出会うわけです。
要するに、奥行きがあると感じるか平面的なものに感じてしまうかの問題です。
芸術は見る人の目も大事と言う事です!
23 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/17 03:32
>>21
>もともと現実空間と絵画の間には係わり合いは無いと思う。
それが具象であっても。
それ、頭では理解できるんです。でも、なんか虚しさを感じてしまう。
現実と関係ないモノなんて作って意味があるのか?と。。
21さんはその辺どう考えますか?
29 :21:04/07/18 04:50
>>23
私の場合は全然空しさは感じません。
現在は風景画描いて次は抽象制作しても混乱しません。
以前は無理でした。
絵画(平面)とは抽象(観念)だと気が付き吹っ切れました。
抽象でも具象でもいかに絵画的に表現するかが大事だと思う。
じゃ絵画的とは何か?と問われても答えられない。
実際に制作する事によってのみしか答えが見つからないと思う。
30 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/18 23:52
スーパーリアリズムは、写真機の画像をなぞることで、
裸眼による認識とは別の認識の可能性を芸術として
成立させる実験であった。
視覚的真実とは何かを作品によって探求することが、
現代美術の一つの課題であると認めることができる
だろう。
37 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/25 17:04
語るなんて無理でしょ。
ゲルニカが抽象だと思ってるんだとしたら完璧なド素人だよ。
でも絵を勉強したことの無い人で抽象分かる人って多分すごく少ないよね。
俺も今は抽象好きだけど、高校生の頃は全然分からんかった。
で、俺は何かその辺がひっかかるんだけど。
勉強した人にしか分からん絵なんて確かに下らないな、というか。
こないだもベンニコルソン見てすげー綺麗だなあと思ったけど、
でも俺が何も知識の無い高校生のときのこれ見てたとしたら、
今と同じくらい「綺麗だ」と思えたんだろうか?とか考えると自信ない。
そう考えると、俺はこの絵を結局知識で見てるだけなんか??とか。
でも好きだから見るけど。
39 :頭がピカソ:04/07/25 17:39
>>37
>>俺はこの絵を結局知識で見てるだけなんか?
そこにあるのは「物」ということさえ言い過ぎであるような、あえていうなら
物です。しかしそれを人間は「トマト」としてしか、「犬」としか見えないの
よ。だから同じ風景を同じ環境の下で描いてもAとBでは違うように、人間に
はすべて抽象物=ある一つの観点から見たものとしてしか見えないし描けない
の。具象画というのは技法上の事をいうのであって、つまりはみんな抽象画な
わけ。でもそれはゴミだといえばゴミかもしれないけど、ゴミじゃないといえ
ばゴミじゃないとも言える。なぜなら人生が、人間社会そのものが、そもそも
絶対でもなんでもない抽象物(いい加減という意味でのね)でしかないのに、
それを私達のご先祖や先輩達が大変な苦労を重ねて具象化してくださったにす
ぎないもんだから。たぶん。抽象画がゴミなら、そもそも人間存在そのものが
ゴミ。人間存在がゴミじゃなければ抽象画もゴミじゃない。人間の目にはすべ
て抽象物にしか見えないと看破したのは、恐らくセザンヌが最初じゃない?
43 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/26 06:10
セザンヌなんかより、ロマン主義の巨匠ターナーなどに
抽象の先駆を感じるね。
渦巻く光、立ち上がる水蒸気、そして煌めく色彩。
風景が「抽象物」に還元されている。
「心眼」という意味でも、ターナー>セザンヌ。
セザンヌは、逆に無骨に「具象」にこだわった人。
輪郭線が「実在感」を浮き出たせてる感じ。
見方によっては、ルノワールだって「物」の背後を
見抜いていると言える。
68 :頭がピカソ:04/07/30 00:28
>>67
抽象をデフォルメと解してない? 描く対象を実物とは違って描くのが
抽象だとしたら、そんなものはアルタミラの洞窟の壁画だってやってる
よ。近絵の出発点はそんなとこにないよ。描く対象が対象としての芯を
喪失してしまった(神の呪縛が解かれたために)、従ってデフォルメも
含めて、それまでの絵描き達のようにサボテンをサボテンとして描けな
くなってしまったという、これは一人ターナーだとかセザンヌだとかピ
カソだけを襲った問題ではなく、全絵描きを襲った問題さ。時代性はも
ちろん一枚の絵の中に反映するけど、歴史的背景を抜きにして一枚の絵
だけを見ても何もわからない。ナポレオンがいなけりゃ歴史がナポレオ
ンを作っただろうというように、個人はどこまでいってもその時代が生
み育てたものにすぎないからね。ターナーとモネとの間には明らかに太
い一本の線が引かれ、区分けされてるように思う。
122 :わたしはダリ?名無しさん?:04/08/16 22:45
例えば人物画など、モデル(他人)を描いた作品を
いくら上手く描いてあったとしても
買う気になれますか?
123 :わたしはダリ?名無しさん?:04/08/16 23:28
例えば藤井勉のなら見る気(買う気)になるが小磯良平、栗原喜依子、ましてや年がら年中裸婦ばっかり
描いている感のある、あー誰だっけな。名前忘れた。んなもんはイラネ。
これは結して上手い下手の問いでは無いし、もちろん裸婦だからというのでも無い。このほんのちょっとの
僅差(しかし、超えられそうもない壁かもね。)これを、じゃ何?といわれたら説明できかねる。
技量の上手い絵がいい絵というのでは結してない、という事は確かな事で、そもそも1枚の絵に上手い下手
という観点からでは見ないけど。人物であれ何であれ。例えば北斎の見た事あるだろ?斬首されて首だけの絵、
あれは欲しいよ。対話の出来る(これは自分にとって重要だ。)いい絵だ。見飽きない。
145 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/28 01:47:08
人は人の顔を数多く見、判断を下してきた。
だから人の人の顔を見る能力は高度に鍛えられている。
そんな人を相手には、難しいが写実的な顔で繊細な人格を表現することができ、
これに成功した絵は感動する。
抽象がなんて詰まらないと思うけど、面白いものは面白い。何でだろう。
これは人の画像認識方法と関係あるのではないか。
人は、点が二つ並んだだけで人の顔を創造するし、初めて見る人の笑いも
笑いと認識できる。そういった特徴量を上手く抽出したの
が抽象画では無いのか。より抽象的な概念を直接組み合わせる
ことが出来るので、現実にはなかなか起きない感情なんかも
引き起こされることがあって面白い。でも繊細さがなく飽きる。
だけど抽象画にも繊細なものがあって感動することがあるのは
なぜだろう。わからないや。通りがかりでごめん。
157 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/12/31 00:32:19
彼の芸術観というのは抽象芸術なんかと即物性というところにおいて
ほぼおんなじなんだよ。卵を割った絵は特に何の意味もないけど
卵というものは実生活の中でなんでもないものだけど、実はこんな
にも美しい物だったんだと気がつかせてくれるだけでも上田薫の
絵は素晴らしいと思うよ。で、それはそのまんま抽象画の鑑賞方法
なんだ。一見無茶苦茶に描き殴られた画面でもよくよくその点と線の
集合体を見てみるとなかなかこれは純粋に美しいなと思う瞬間がある。
その考え方と具象絵画という折り合いを付けるという意味で言えば
なかなか面白いなと俺は思ったな。
それが理解できないと上田薫の本質と抽象芸術のよさというのは
わからんよ。でも何度も言うけど今時抽象芸術がわからないというのは
笑われるぞと。抽象的だろうと具象的だろうといいものはいい。抽象的
だから駄目なんてのは目が節穴なんだよといわれるぞ。
161 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/31 12:19:14
本来、具象x抽象の境界線はあやふやなもの。
総じて絵画を手っ取り早く素人に説明する時に使う用語です。
ちなみに抽象でもスバラシイ作品はあります。
よって、そんな作品を知らない>>1はバカ。
177 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/01 22:53:26
極論を言えば抽象画も具象画も同じだよ。表現すべき目的は
突き詰めれば一緒ですから。元は「同じ人間の感性」なのだから。
抽象だから云々、具象だから云々といった表現の違いは細かいことです。
細い要素に主観的にこだわってしまうと、いつまでたっても大元
である画家のイメージにはたどりつけません。また、自身が表現する上で
も表現が窮屈になりますよ。
優れた作品の強いイメージから、もっと細かい要素(表現方法、時代性…他)
を見出してゆき、イメージを膨らますという逆の捉え方をしないと、
特に現代美術から置いてきぼりを食ってしまいます。
他の作品からどんどん吸収することができると、より自分の表現の方法も
広がりを持つことができます。
もう一つ言えば…絵を描き初めはどうしても具象にこだわってしまいがち
です。なぜなら…ちょっと才能あると上手く描けて、自己満足できるし、
周囲のウケも良いし…。(写実ってなにも考えてなくても描けるのだ…)
優れた抽象画家って、そんなことに飽き飽きした人達ですよ。
ピカソは…飽きるのが早過ぎる早熟な人だった訳で。
個人的には、ピカソは頭良すぎで、ちょっとエンタの神様っぽい匂いが
どうかと思うが。
188 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/02 19:24:37
いろいろ見てきたが、抽象表現全般の寒さは、やはり単なる自己満足と紙一重の世界って気がするな。
現代アートにも、同じ感想。せめて、見て楽しいとか、美しいとか、何かとっかかりがないと、
小一時間何を見てたかすら、おれにはわからない事がほとんどだった(笑
194 :177、181:05/01/03 02:14:22
>188 本当は抽象の方が底抜けに楽しいもんだと思います。
子供の絵ってスリリングで楽しいでしょ?それが基本だと思うんです。
軽い言い方ですけど。子供の絵+40年?ほど生きてきたエッセンスが
それに加わったのが世間で持てはやされてる抽象画ってやつです。と思う。
そう考えれば楽しむ余地ありかと。
アートって特別な物じゃないと思います。元はイメージの伝達手段です。
そういう意味で言えば言語と共通です。どんなスリリングで感動的な
言葉でもいつかは飽きてしまいます。で、いろんな表現を時代と共に
開拓していくわけです。漫才でいうと昔のベタな漫才から、
今のアンガールズの表現に変わったようなもんです。??
美術って実は汚いもので、そういった飽き易い人間の欲とかが美術史に
多分に反映されているので、時に理解に混乱してしまいますが
美術史とか評論家の言葉を無視して少し斜めから観ると
以外とわかりやすかったりします。げーじゅつか?が議論好きなのは常だけど、
もっと私が若かったらなあ~。
281 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/04 02:13:42
目の前の作品が、いったい何なのかもわからないような作品が多すぎる。
鑑賞者に勉強、知識吸収、評論読め、社会勉強しろ。それを前提としている時点ですでに
とてつもない壁になっている。しかもその姿勢を平然と続けるこのジャンルってのは、もはや宇宙言語かSF映画のモノリスか。
295 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/04 12:14:41
なるほどなあ。抽象絵画ってのは高度に精神的な芸術であって、ノータリンには理解できないってことか。
今のところ個人的な感想は、こうだな。
「作家も含めて抽象絵画なんて全部ゴミ箱行き。」(笑
375 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/05 10:33:47
抽象絵画や現代美術に対するアレルギー反応にもしたものは、(それらを愛好するものとしては)何とかしたいと思うものではあります。
黒の騎士さんもRさんも啓蒙する気は無いようですね。おそらくその類の人と接してむなしさを募らせた経験があるものと想像いたします。
かなり上のほうで作り手側&送り手側と受け手側の歩み寄りの話が少し出ていましたが、個人的には作り手は自分の好きなように作って欲しいなあと思っています。変にマーケティング臭のする作品や受けを狙ったものは一時的な流行に終わるように思います。
私が足りないと感じるのは作り手側と受けて側をつなぐ部分だと思います。
美術館の役割のひとつとして教育・普及があるはずですが、これがうまく機能していないように感じます。
その意味では美術館にもっとがんばってもらいたいと思います。(一般の人が作品と接するのはやはり美術館が多いと思いますから)
単に作品を並べただけで事たれりは無いでしょう。
最近はいろいろな試みもなされているようですが(所蔵作品の学芸員による解説会や、ガイドなど)、まだまだこれからといったところでしょうか。
また、美術館でなくても、作り手側と受け手側を結びつけるつなぎ役のありかたが模索されても良いかとも思います。
382 : :05/01/05 17:39:29
絵を見るときいつも時間の観念が働く
同じ一日はもう来ないということ
1880年に電球ができたこと。
ランプで生活してただろうゴッホの黄色と
電球の黄色は違うこと
ルーベンスの闇がどのくらい柔らかく深かい日常だったのか
そこまでは想像できなかった。
絵を見て少しはできた。
よかった。
でもキュビズムは意味わからない。見方が解らない
見方を知ってる人どうやってみるか教えて。
471 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/27 17:35:19
ピカソまでぐらいはまだ理解できるが、
デュシャンとか正直意味不明なんですが。
適当に物を置いてもっともらしい注釈をつけるだけ。
あんなの正直屁理屈のこねあいじゃないかとか思う。
あんなのは哲学分野のことであって、美術ではないんじゃないの。
難解さばかりを追い求める現代美術は正直イラネ。
473 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/29 16:42:45
美術っていうのはあくまで創作作品によって視覚にうったえる物じゃないの?
本人が「これは作品です」とさえ言えばなんでもありっていうのはおかしくないか?
なにも作らないで「創作活動をしない事自体が芸術」なんて言われても納得できない。
そんなのは哲学の世界でやってくれ。
475 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/30 15:07:00
最近の美術って、視覚にうったえない作品多すぎ。
ネタが面白いだけでなく、見た目も美しい作品ってなかなかないよね。
476 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/31 17:34:04
つーか美術っていうのは美しさを求めるものだろ。
まあ別にコンセプチュアル・アートの存在まで否定しないが、
近年の現代美術って言うのは概念があればそれでいいわけで、
そいつの絵がいくら下手糞だろうが、
美的センスゼロだろうが、別になんだっていいわけじゃん。
紙切れに「うんこ」って三文字だけ書いて、
「これは人間の根源的な生存活動に対する私なりの解釈である」とかさ。
音楽でいえばジョン・ケージの4分33秒のようなもんだな。
あれがいくら芸術として持ち上げられたとしても、
音楽界においてはああいうのが主流になってるわけじゃないだろ。
でも美術ではそんなのばっかもてはやされてて、まじめに絵を描いてる人
にとっては不遇の時代だよなーとか思う。
519 :わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/27(木) 13:06:56
「物体・人物などの具象物を描かずに」(non-figurative)
「色彩と形態のリアリティを追求した絵画」(積極的な意味でのabstraction)
と定義すればわかりやすいんだけどね
526 :わたしはダリ?名無しさん?:2005/11/22(火) 07:23:17
抽象=具象を極めた末に到達するもの
抽象=具象よりもいいかげんなもの
というイメージが両立してるのが不思議だ
個人的には、抽象でも具象でも、良いものは良いと思うです。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 抽象絵画なんて全部ゴミだよ@美術鑑賞
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://hopeless.in/mt-tb.cgi/543
面白かった。
あたしは芸術の知識が皆無だけど
じゃあ教えてもらってわかるかってわかんないと思う。
自分でやってみて難しいと感じたことでも他に出来ている人がいるとそれって評価の対象になるのねきっと。
でも、実際に目の当たりにした時感じる、美とか芸術って言われるものってそうじゃないんじゃないかな。
何も知らなくても何か惹かれるところがあったり、見た瞬間なぜか衝撃を受ける様なもの、それだけでしか無いと思う。
だから勿論、各々違う評価で良いし、何が何て呼ばれるかなんて
境界線なんか無いんだと思うな。
それに拘ってやってる人は、その中でのみの評価に値する訳です。
h
こないだ職場でまさにこんなような論議になり、私とある人が険悪な雰囲気になってしまいました。その人は多分抽象芸術やコンセプチュアルアート自体、特に好んでみた事もなければ知識もないと思われますが(モンドリアンの名前さえ知らなかったし)、そうでありながらそれだけの数のアートにふれた経験もないくせに抽象画は全てゴミだ、みたいな事を言ったので私が気分を害し、言い返し、ちょっと喧嘩っぽくなってしまったというわけです。
美術は美しくなければならないという概念は私は特に必要ないと思っています。岡本太郎も醜悪こそ美とか言っていたし、まあ美だといってる時点で美を意識されていたのかも知れませんが、ここがみそだと思います、結局人それぞれ見方や美を感じる場所が違うかも知れない、Aさんにとって醜悪でもBさんにとって美という事はあるでしょうし。
私も芸術に哲学はつきものだと思います、哲学なくして作品はきっと生み出せないでしょう。コンセプトだけが重要ならばそれは哲学であって美術ではない、確かにそうなのかも知れません、でも世の中全てジャンル分けすべきなのかとそもそも思ってしまいます、音楽にしてもブルースなのかロックなのか、ソウルなのかヒップホップなのか、あいまいなラインを行っているミュージシャンは沢山いるし、そういったミュージシャンをジャンルわけしなきゃならないのもつまらなくないですか?音楽とか芸術みたいに自由なものの中に何故そんなに制約やルール、ジャンル、これはどう理解されるべきだ云々、そういう観念がある事がそもそも何か違っている、もしくはちょっと残念な気もします。例えば芸術家が何か作品を作る、見る人間はこう理解しなきゃならない、そんなマニュアルなんかあったらほんとにつまらないし、作り手も人によって色んな見方があってくれた方が面白いと思ってるものなんじゃないかと私は思います。そういう意味で今までの流れを変えた抽象芸術の出現やコンセプチュアルアートの出現はほんとに素晴らしいと思いますし、デュシャンは素晴らしいトラブルメーカーだと思うし、その存在が私には心地良い。見る側に疑問を持たせるとか、嫌悪感を持たせたとしても、何かに対して疑問すら抱かせないようなアートは私には退屈です。そういう意味でありのままに描かれた写真のような初期の芸術にはあまりそそられません。でもそれが私個人のテイストであるというだけの話です。どれが良くて悪いとか正しいとか間違ってるとか、そんな概念はせめて芸術の中にあって欲しくないと思います。そういう事に対する疑問や攻撃の気持ちがそもそもデュシャンのような芸術家にモチベーションを与えたように思うし、そこから実際に美術史に残る何か大きな事をを成したというデュシャンのそういう所に感銘を受けます。自分の心に正直に何かを生み出した作品ならば私はそれが自分の好みであってもなくても有名であっても有名じゃなくても、その作り手に尊敬します。